母のぬくもり

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 私がまだ2歳か3歳の頃の出来事です。初めて海に連れて行ってもらった時のことです。

 写真を眺めながら思い出したことは、母に抱かれて海を背景にして、父に写真を取ってもらっていた時、私が母の腕の中で激しく泣いていたことです。

 初めての海。そのあまりにも大きくて広い風景に私はとても怖くなり、母の腕の中で泣きじゃくっていたのです。言いようのない大きな不安と恐怖を感じていた私を、母はしっかりと抱きしめていてくれました。私自身の最初の記憶です。

 その後の人生の歩みにおいても、私が不安や恐怖を感じていた時、特に病の床にあった時に、優しく包み込むように看病してくれたことを思い出します。私にとっての「母のぬくもり」です。

 おそらく多くのお母さん方も、このような「ぬくもり」とともに、子どもたちと向き合っておられるのでしょう。

 母だけが持つ、すべてを包み込むような「ぬくもり」です。

 ところで、カトリック教会では、聖母マリアをとても大切にしています。それは、ただ単に「救い主の母」として尊敬の念を持つだけでなく、このような「母のぬくもり」をもって、教会とともにあり、祈りの取り次ぎを願う人々すべてに寄り添ってくださるからなのだと思います。

 私たちが不安や困難に直面している時、人生の道に迷って、どうすれば良いか分からないでいる時、恐怖の真っただ中にいる時、そんな時、聖母マリアは「母のぬくもり」をもって、私たちに寄り添い、祈りを取りなしてくださるのだと思います。力強い応援団が、いつもそばについているようなものです。

 「神の母、聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。」

母のぬくもり

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 私の母は口数が少ない方で人が喜ぶようなことを巧みに話したりはできないタイプです。でも噂話もしません。それは母の美点だと思います。

 父は素晴らしい信仰をもち、人の気持ちをよくつかむ人で社交的でした。しかし、若い時の挫折から立ち上がれないまま一定の仕事に就くことが出来ませんでした。ですから母が教員としてフルタイムで働きながら家事を一人でこなし、子育てをしたのです。

 両親は、子供が勉強の面白さを知れるように出来る限り環境を整えてくれました。今思うと私は本ばかり読んであまり家事を手伝いませんでした。

 母の深い愛情がわかったのは、私が結婚し、家庭をもちながら教員をするようになってからです。学校の仕事は授業の準備だけでなく、生徒指導や年間行事などがあり、大変複雑です。いったい母はどうやってこなしてきたのだろうと思いました。母の深い思い、心のぬくもりを感じたのはその時でした。

 子供時代は、家に帰ったら「おかえりなさい」と言っておやつを出してくれる専業主婦のお母さまたちが羨ましかったものです。でも、母はちがうものを私たちに与えてくれたのです。たとえばどんなに疲れていても日曜には必ず家族で教会に行くこともそうです。教会で両親は生活の労苦を全て神さまに委ねて祈っていたと思います。神さまはいつも私たちを助けてくださいました。

 母は人に甘えずに、するべきことを黙々とこなし、健康管理や節制をしっかりとして家庭を支えてくれたのです。こういう形の母の愛情もあるのです。


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