母のぬくもり

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 私が3歳くらいの頃、母が戸棚の中から小さなチョコレートを取り出して、私にそっと差し出してくれたことがありました。これは私が覚えている私と母との最初の思い出です。その出来事の前後に何があったのかは、すっかり忘れてしまいましたが、まだ自分一人でおやつを買いに行くこともできなかった幼い私は、母から、当時高級品だったチョコレートをもらって、嬉しくてし方ありませんでした。

 時折、何となく、この過去の場面が思い出されることがあり、なつかしく感じてきました。しかし、随分後になって、気付いたことは、母からもらって、嬉しくてたまらなかったはずのチョコレートを実際に食べたことやその味、おいしさを、全く私は覚えていないのです。

 私が鮮明に覚えていて、思い出せるのは、母がチョコレートの包みを大事そうに私に渡してくれ、優しく声をかけてくれたことだけなのです。

 このことに気付いた時、私にとって何よりも大切なのは、母の存在だったということがわかりました。幼いながら、私はチョコレートそのものよりも、チョコレートに込められた母の思いが何よりも嬉しかったのだと思います。

 この母との最初の思い出は、3歳の私には理解できるはずもありませんでしたが、母の生き方を象徴的に表しているように感じます。母は、いつも、そっと日々の生活という戸棚からたくさんのことを私に分けてくれていたのです。母の愛情とぬくもり、私のために捧げてくれた日常の苦労、自分のことを脇に置いて、いつも大切なものを私に差し出してくれた母を思い出しながら、私は、今、母を通して、御自分の愛の深さを示してくださった神様に、感謝の念で一杯なのです。

母のぬくもり

今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 私の母はとても忙しい人であった。5人の子育て、家計を助けるための和裁仕事、年中、我家へ出入りする食客、泊まり客、相談にやってくる人々・・・。

 と列記したらいとまがないくらい・・・。

 忙しいという字は心が亡びると書くけれど、母は心が亡びるどころか、生き生きとして人の世話にあけくれる日々であった。

 そんな忙しい母なのに、子どもたちへのあたたかい思いやりは忘れない人であった。

 寒い日、外から帰ると、かならず「まず、手ばあたためろよ」という。

 台所の流し台へ向かうと、そこにはアルミの洗面器にあたたかいお湯がなみなみと注がれていた。

 私や弟が帰ってからではなく、その前に用意されていたので、いつも不思議だった。

 「かあちゃん、なして、おっどんが帰って来るとがわかったと?」ときくと、母はすまして「なんの、かあちゃんの守護の天使がさ、教えてくるっとよ」と答えるのが常だった。

 それでもなお、母に甘えたくて、「あまりぬくうならん」というと、母はいっとき針を置いて、「ほら、手ば出してみろ」といい、私の合掌した小さい手にプープーと大層に息を吹きかけてくれた。

 それでもなお、調子に乗って「まだぬくうならん」というと、今度は背中をごしごしとこすってくれるのだった。

 母のぬくもりというと思い出すのは、この冬の日々である。

 また、夏は私や弟が寝つくまでうちわであおいでくれるのだった。

 暖房や冷房に頼らず、自分の心と身体でいつくしんで育ててくれた母は、いつまでもいつまでもなつかしい人である。


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