母のぬくもりという言葉を聞くと、私には母の胸にだっこされていたり、背中におんぶされていたりする光景が浮かびます。なぜかそれは、懐かしい日本の原風景をバックにしているのですが。
もっともこれは、私のあこがれのように持つもので、実際に自分の記憶にあるわけではありません。私が生まれたのは戦時中の東京でしたし、長男なので、母の胸も背中も独占していたはずです。少なくとも、弟が生まれる1才半までは。
ですが、いくら記憶を手繰っても、それを思い出せないのです。そこで私は、まだ小さかったからか、次いで私には幾らか問題ありか?・・などと、少々焦りはじめています。
母は結婚するまでは、恵まれた生活を送ってきたようです。それが、職業軍人だった父と結婚したために、戦後は大変な苦労を負う事になり、そのために、結核にかかり、その後、長い療養所生活を送る事となりました。手術は何と11回に及びました。
主治医の先生がおっしゃったのは、30才位で亡くなってもおかしくはなかった・・と。実際には、比較的最近の、81才まで生きてくれたのでした。持ち前の明るさのおかげだろうとは、その何代か後の先生の言葉です。
結局、私は母とは子供のころから離れて暮らさなければなりませんでしたが、それでも、遠くで案じていてくれる母というものは、有難いものだなとの思いは、しみじみと感じられます。
私が修道者であった時も、聖書の中のこの神の言葉は私の胸をえぐったのでした。「母が自分の子を捨てることなどありえようか。もし、それがあったとしても、私はあなたを忘れはしない」。(イザヤ書 49・15)
私の母も、今ではこのような神様とお会いしていることと思うと私はとても嬉しいのです。
ある幼稚園で、以前こんなことがあった。家庭の事情で児童養護施設に引き取られ、そこから幼稚園に通園している子どもが、冬休みを終わって幼稚園に戻ったときのことだ。「冬休みはどうしていたの」と先生が聞くと、その子はうれしそうに「お母さんが迎えに来て、ディズニーランドに連れて行ってくれた」と言った。ところが後日、先生が施設の方に「よかったですね」とそのことを話すと、施設の方は怪訝な顔で、「そんなことはなかったはずです」と答えたとのこと。施設で過ごすお正月に、きっとその子はお母さんが迎えに来てくれるのを夢見ていたのだろう。その夢が、子どもの心の中で現実になったのかもしれない。
子どもたちは、親の愛情をそれほどに待ち望んでいる。たとえどんなに裏切られても、親の愛を固く信じ、親を悪く言うことは決してない。そんな子どもたちの姿を見ると、わたしたちは子どもを愛さずにいられなくなる。親の代わりにはなれなくても、自分に出来る限りのことをしてあげたいと思うのだ。
親からの愛を十分に受けられない子どもは、ときに、先生の気を引こうとして他の子に意地悪をしたり、ものを隠したりすることもある。そんなときこそ、先生の腕の見せどころだ。本当の問題は愛への飢えだと気づいて、子どもの寂しさにしっかり寄り添い、温かな声かけをしてゆくうちに、問題行動はしだいに収まってゆくことが多い。
子どもをあるがままに受け入れ、温かく包み込む神さまの愛は、親の心に宿り、親を通して子どもに注がれる。もし親が愛を注げない場合でも、神さまの愛は子どもを取り囲む大人たちの心に宿り、子どもに注がれる。心に宿った愛を、子どもたちに惜しみなく注いでゆきたい。