母のぬくもり

越前 喜六 神父

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 正直に言うと、わたしには「母のぬくもり」が分からない、というべきでしょう。なぜなら、わたしが3歳の時に、母は病気で亡くなったからです。かろうじて、幼児期の記憶を辿ると、台所で子どものわたしの口を開けて、生たまごを飲ましてくれたこと。父親に連れられて、仙台の病院に見舞いに行ったこと。居間に横たわっている母親の遺骸ぐらいです。ぬくもりとは全く縁遠いことです。

 父は新しい母を迎えましたが、その母はまったく冷たい女性で、非常に嫌な思いをしました。でも、ひねくれなかったのは、父が生きていたことと、兄弟が大勢いたからだと思います。

 母のぬくもりを経験したことはありません。

 わたしが10歳のとき、父は亡くなりました。孤独を覚えましたが、その時、カトリック信者になろうとしていた姉から信仰の話を聞き、1冊の本を渡されました。

 その中に聖母マリア様のお話しが載っていました。むさぼるように読んで感動したわたしは、そうだ、私たちには、聖母マリア様がいるんだ。マリア様はただ単に、ナザレのイエスの生母であるだけでなく、すべての人の母なのだと知りました。なぜなら、わたしたちは皆、神の子どもとして、マリアを母として頂いているからです。

 わたしたちは、神さまに畏敬の念をもって近づきますが、聖母マリア様には優しく寛大で美しい母親として接し、取り成しの祈りを願っています。仏教の教えを借りれば、観音様のような仏様を連想します。ですから、潜伏キリシタンの人々は、マリア観音を刻んで祈っていたのです。

 わたしには聖母マリアが居られるんだと、思うたびに、母のぬくもりを感じてきました。

母のぬくもり

小川 靖忠 神父

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 どういうわけか、親との関りがあるその瞬間には感じられないものですね。何を、と言いますと、親心というものです。

 わたしは小学校を3回ほど変わりました。その度に、今では社会問題にまでなっているいじめにあったものです。その原因が何だったのか、はっきりと記憶にないのですが、多分言葉が通じなかったことがあったのではないかと想像しています。

 小学校2年生の時、鹿児島から長崎へ転居しました。鹿児島弁が長崎の人にそう簡単に通じるわけがありません。その逆も真です。

 ある日の休み時間の屋上で、どうしてそうなったのか、前後のことは覚えていないのですが、わたしがある子の耳にいたずらをしたのでした。いじめられていた仕返しみたいなことだったとは覚えています。

 その日の弁当の時間に、その子の父親が教室に入ってきて、椅子を振り上げ、わたしに向かってきたのです。女性の担任の先生は泣き出すし、わたしも怖くなって逃げ回りました。

 それからどうなったのか記憶にありませんが、なぜかわたしは警察署にいました。お巡りさんが「お母さんを呼んでいらっしゃい」というので、呼びに行きました。「家にいてくれ」との願いを込めて走りました。

 母は家にいました。

 この時の安堵感は何とも言えません。今でもよみがえります。いつもは泣かないわたしが、思いっきり泣きだしたことも覚えています。「母がそこにいる」だけで安堵感と温かみを抱かせてくれるんですね。

 大きくなってから、一度だけ、母とこの話をしたことがあります。その時は思い出とともに笑い話になりました。

 親の温もりは、後で「明るい思い出話」として語り継ぐものとなれば、いいものだなと思っています。


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