私の母はとても忙しい人であった。5人の子育て、家計を助けるための和裁仕事、年中、我家へ出入りする食客、泊まり客、相談にやってくる人々・・・。
と列記したらいとまがないくらい・・・。
忙しいという字は心が亡びると書くけれど、母は心が亡びるどころか、生き生きとして人の世話にあけくれる日々であった。
そんな忙しい母なのに、子どもたちへのあたたかい思いやりは忘れない人であった。
寒い日、外から帰ると、かならず「まず、手ばあたためろよ」という。
台所の流し台へ向かうと、そこにはアルミの洗面器にあたたかいお湯がなみなみと注がれていた。
私や弟が帰ってからではなく、その前に用意されていたので、いつも不思議だった。
「かあちゃん、なして、おっどんが帰って来るとがわかったと?」ときくと、母はすまして「なんの、かあちゃんの守護の天使がさ、教えてくるっとよ」と答えるのが常だった。
それでもなお、母に甘えたくて、「あまりぬくうならん」というと、母はいっとき針を置いて、「ほら、手ば出してみろ」といい、私の合掌した小さい手にプープーと大層に息を吹きかけてくれた。
それでもなお、調子に乗って「まだぬくうならん」というと、今度は背中をごしごしとこすってくれるのだった。
母のぬくもりというと思い出すのは、この冬の日々である。
また、夏は私や弟が寝つくまでうちわであおいでくれるのだった。
暖房や冷房に頼らず、自分の心と身体でいつくしんで育ててくれた母は、いつまでもいつまでもなつかしい人である。