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母のぬくもり

熊本 洋

今日の心の糧イメージ

 人間、生を受け、だれしも、母の胸に抱かれ、そのぬくもりの内に育まれてきました。そのぬくもりは、赤子のみが感じる、暑からず寒からず、母親ならではのやわらかな、心地よい、愛情に満ちた愛撫の温かさであります。目に見えないそのぬくもりは、いつまでも温かく、冷めることがありません。そこには、永久に続く安堵感と平安があります。母の愛は、深く大きく、遠大であります。いつまでも、限りなく、崇められ、尊ばれるべきものであります。

 その何よりの象徴と言える最高のモデルが、キリストの御母、聖母マリアであります。聖母をたたえ、聖母に寄りすがることは、か弱い人間にとって、ごく自然な、相応しい言動であり、美しく、大いに推奨されるべきものだと思います。その祈りは「天使祝詞」と呼ばれ、1993年までおよそ100年使われてきた古い表現ですが、次のように、唱えます。

 「めでたし聖寵滿ちみてるマリア、主、御身とともにまします。御身は女のうちにて祝せられ、ご胎内の御子イエズスも祝せられ給もう。天主の御母、聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。」

 このような「天使祝詞」でしたが、2011年の新しい口語体の訳では、「めでたし聖寵満ちみてるマリア」の重々しい表現の代わりに、「アヴェマリア、恵みに満ちた方」と、なんとなく、そっけない訳になっていっています。淋しく、残念に感じるのは、後期高齢者の私だけでしょうか。

 いずれにせよ、聖母をめでたたえ、とりなしを願い、全てを聖母に委ね寄りすがることは、だれにでもふさわしい、謙虚で敬虔な姿であることには、なんら違いはありません。