父のぬくもり

今井 美沙子

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 私の父はやさしいやさしい人であった。

 私は父から大声で叱られたり、ましてや叩かれたことなど1度もない。

 他のきょうだいも同じである。

 寒い冬には、「ミンコよい、父ちゃんとこに来いよ」と自分のふとんの中に私を招き入れ、自分の太ももの間に私の足をはさんで暖めてくれた。父は体温の高い方だったので、父の太ももはあたたかく、安心してすぐに眠りについた。

 父は五島の民話を子どもたちによく話してくれた。磯女の話とか、行方不明の我が子を探すうちに鳥になってしまい、「ヨヒトカッポ」と鳴く鳥の話とか・・・。

 父をはさんで右と左に私と弟が寝ていた。

 私は父が自分の方を向いて欲しいので、父の顔を自分の方へ向けた。するとすかさず弟の小さい手が伸びて来て、父の顔を自分の方へ向けてしまうのだった。

 父は「顔がふたつ欲しかね」と嬉しそうに笑って、右と左、交互に顔を向けるのだった。

 父のぬくもりの思い出を書くときりがないが、私が父のことで一番心に残るのは、母と少し縁のあった娘が未婚のままみごもった時のことである。

 父は母に「生まれてくる子は自分の子どもとして育てよう。あん娘は身ふたつになったら、誰かよか人の嫁さんにしてもらおう」といったという。

 私が生まれる前の話だというが、母が繰り返し、父のあたたかさ、やさしさを話してくれたので、自分がその場にいたかのように思う。

 幸いなことにゆかりの娘は、おなかの子どもと一緒でもいいという心の広い人と結婚した。その人は後から生まれた自分の子どもたちと全く差別しなかった。

 その人もぬくもりに満ちた父であった。

父のぬくもり

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 人の幸せを左右するものの一つに「父性愛」があります。父の子供への愛情は母のぬくもりとは違うようです。

 幼稚園時代、喧嘩で穴におとされ傷ついた私を救い出し、背負って家に帰る時の父のぬくもりがただ一つの想い出です。

 さて人の幸せは、どんな時代に、どこで誕生したかが大きな影響を与えています。私が生まれた年に2・26事件という陸軍の反乱がありました。私の誕生地は台湾の高雄で、当時、日本海軍の基地があり、東南アジア地区の活動基点のようでした。

 戦後、父は戦犯となり、家族は父の郷里・新潟の山地に疎開していました。その後色々ありましたが、私も青春時代を終え、社会人として生きていました。悩み深い事件に巻き込まれた時は、激動の時代を生き抜いた父親に相談するのですが、いつも最初に、自分ではどうしたいのか、と質問してくるのです。自分の考え方は言いません。そのことが不満でしたが、今、思えば息子の意見を尊重してくれていたのです。父が自分で幾つかの答えを既に準備している時は、相談すると、どの答えが好きか、と聞いてきます。息子の考え方をいつも優先して聞いていたのです。当時は、そんな煮え切らない父親が嫌いでしたが、いまにして思えば、息子の自由意志を相当我慢しながら聴いていたのだなあと、しみじみ感謝しています。

 母は戦後、40代で、父は戦後を生き抜いて87才で亡くなります。海軍の職業軍人として幾多の海戦を生き抜き、愛する息子には、自分の意見を押し付けず、いつも息子の意志を尊重してくれた父親、その愛情は母のぬくもりとは違うものでした。これが父性愛というものでしょう。

 凛とした厳しい父親の愛情を思い出し、しみじみと良き父親に恵まれた私を神様に感謝しています。


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