「平和」について考えるとマザーテレサの言葉を思い出します。「人工妊娠中絶は、平和の敵です。母親が自分の子を殺せるなら、他人同士が殺しあうのをどうやって防ぐことができるでしょうか」。鋭く、妥協を許さない言葉です。
もちろんマザーは、わが子を中絶してしまった女性を非難しているのではありません。お腹の赤ちゃんには生きる権利がある、母親は命をはぐくむ大切な任務がある、一人の人を殺めることは、人類全体に大きな傷を与えるとおっしゃったのです。
人の命は本当に不思議です。どれほど素晴らしく造られていることか。それは命の発生の瞬間からもわかります。近年、受精卵の一部の細胞は、皮膚にも内臓にもなる多くの可能性をもつ細胞だとわかりました。けれども受精卵には、どの部分が何になるのかというプログラムがすでに組み込まれています。出来上がっているプログラムに従って、細胞は猛烈な勢いで分裂します。最初は二つに分裂しますが、そこで人の背中と腹が決まります。あらゆる可能性を持つ細胞が、迷うことなく、あるものは骨に、あるものは内臓になる。まるで楽譜があり、指揮者がいて、多くの楽器をまとめ、完成された曲を奏でているかのようです。
このことは、一人の人が、どういう人になるのかという「全体像をあらかじめ把握している存在がいることを物語っています。聖書には「胎児であった私をあなたの目は見ておられた」とあります。(詩編139・16)
人は、生れる以前から、神に知られ愛されている。だから決して殺してはいけないのです。