父のぬくもり

森田 直樹 神父

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 私が30歳を過ぎた頃、突然、父から「もっと子どもであるお前たちに関わってあげればよかった」と言われました。あまりにも唐突な言葉に、私は一瞬、面食らってしまいました。と、同時に、にが笑いしながら、「今頃、そんなことを言っても遅いよ」と返事したように記憶しています。

 私たち子どもにとても優しかった父は、よく近くのお寺に散歩に連れて行ってくれました。一緒に歩きながら、いろんなことを話しました。父が今まで体験してきたこと、私の学校のこと、友だちのことなどいろいろです。

 時には、道端に落ちていたぎんなんを集めたり、辺りに生えていた植物の話題になったり、お寺の高台に上って、街を見下ろしたり、といろんな体験をさせてくれました。そして、この父と過ごす夕暮れののんびりとした暖かいひとときが私はとても好きでした。

 いつも何かを考えていて、それでいて、早急に直接何かを言うわけでなく、いつもゆったりと私たちに接してくれた父の姿に、ぬくもりを感じます。

 このような父の姿は、私に多くのことを教えてくれたのだと思います。いつも思慮深くあること、相手の大切さを認めながら、ゆったりと人と接すること、いろんな体験を通して、相手に教えていくことなどです。

 すぐに何かを始めたり、相手をせかしたりすることはありませんでしたが、温かい目とゆったりとした対応で、私たち子どもの成長をそっと眺めつづけてくれていたのでしょう。目立たないことかもしれませんが、目立たないぬくもりを父は持っていたのだと思います。

 実は、このようなぬくもりを父である神さまもお持ちなのだと思います。温かい目で、いつも私たちを眺めつづけておられるぬくもりです。

父のぬくもり

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 父が子ども用のスキーを買ってくれたのは、3歳を過ぎた頃だった。父は実家近くのスキー場に連れて行ってくれた。初めは子ども用のところで滑っていたが、山頂から滑ってくる人たちを見て、いいなと思った。父はスキーが得意だったので、リフトに乗り、私を膝の上に乗せて山頂を目指した。リフトを降りると、父はジャケットをおんぶ紐のようにして、私を背負った。父はシュプールを描きながら山を滑り始めた。私は父の背中の中から外をのぞいていた。初めて雄大な山をスキーで滑り、私は父の背中のぬくもりの中で大喜びだった。

 しばらくすると吹雪になった。スキーヤーはいっせいに麓を目指して滑り始めた。吹雪は強さを増し、方角がわからなくなった。父は私を背負っていなければ、直滑降で麓まで一気に滑っただろう。

 必死に滑っていると、深い谷まで続く杉林が目の前にあった。父は焦った。小さい頃からこの山で滑っているので、方角を間違ったことに気づいたのだ。今滑ったコースをまた戻った。スキーの跡があったので、またゆるやかに滑り始め、一つめの山を越えた。

 父は幼い私を連れてきたのを後悔したかもしれない。さらに二つ目の山が見えた時には父はほっとしたようだった。この山を越えれば、麓まで行く最後の山に至る。二つ目の山を越えた頃から吹雪はやんだ。

 この最後の山を滑って麓近くになったとき、父の父親が立っているのが見えた。私にとっては祖父だ。父にも父親が待っている。父はふうっと大きな息をした。父も私も大きなぬくもりに包まれた。

 幼い日のことを思い出すと、詩編のみ言葉が心に響く。

  

 「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない」(23・4)


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