父のぬくもり

黒岩 英臣

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 私には「父のぬくもり」という実感がありません。私の幼少の頃は、父もまだ若すぎたのかも知れません。可愛がって育てて貰ったのは確かだと思いますが、何か満ち足りていない感じで、私は世の中に対してどことなく、劣等感に苛まれているのです。

 そんな私にとって、未だに「父のようなぬくもり」を思わせてくれる関係がありました。

 当時、小学6年だった私は、バイオリンの裏付けとしてピアノも学んでいたのですが、縁あって素晴らしい作曲家にピアノのレッスンをお願いすることになったのでした。

 レッスンに伺うと、先生は大抵、お酒をチビチビやりながら、テレビで野球か相撲を見ておられました。私も毎回、おやつなどを頂きながら、これにつきあうわけです。それが一段落してから、ピアノのレッスンでした。と言っても、バッハを弾くと、先生はたちまち、バッハのこのフーガの構造はこうなっていて・・と夢中になりますし、ベートーヴェンだと、この曲はソナタ形式でね・・と専ら作曲論の方へ傾いてしまわれ、ピアノ演奏の技術については全く言及されませんでした。

 そして、先生らしくセンスのある名前を持った、慈しみの雨の子と書いて、じう子というお嬢ちゃんが、私が来るのをいつも玄関先で待ちかねていて、私が見えると裸足で外へ飛び出してきて、私に飛びついたのも懐かしい思い出です。

 また後年、私が修道院時代に出会い、以来、私の心に父である神のぬくもりを与え続けてくれる聖書の言葉をお伝えしたいと思います。「女がその乳飲み子を忘れるであろうか。たとえそのようなことがあったとしても、私はあなたを決して忘れはしない」。そして、「私はあなたを手のひらに刻みつける」と。(参 イザヤ49・15~16)

父のぬくもり

片柳 弘史 神父

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 大学2年生になったとき、わたしは初めて実家を離れ、一人暮らしを始めた。大学に入って最初の1年間は、埼玉の実家から神奈川にある大学まで片道2時間かけて通った。だが、やはり体力的にきつかったし、その時間を勉強に充てたいという気もしたので、1年目の終わりごろ、思い切って父に「大学の近くにアパートを借りたい」と切り出したのだ。

 父は初め、とても渋っていた。「大学入学を機に家を改修し、勉強部屋がある2階にトイレを付けたのは一体何のためだったのか。お前が実家から通うというから準備したのに」。父からそう言われると心が痛んだが、しかし当時は法律の勉強をして国家試験に合格するという目標もあったので、わたしは引き下がらなかった。すると父は、「そんなに言うなら勝手にしろ」というような感じで、渋々、アパート暮らしをゆるしてくれた。

 入居するアパートが見つかり、荷物を運ぶための引っ越し業者を探していたとき、園芸農家を営む父の口から思いがけない言葉が出た。花の出荷のために使うトラックで運んでやるから、引っ越し業者を探さなくてもいいというのだ。こうしてわたしは、父の運転するトラックの助手席に座って、実家から旅立つことになった。

 わたしが実家を離れてから1年半後、父は心筋梗塞で急逝した。いまから思えば、父は自分の残りの命がそれほど長くないのを、どこかで感じていたのかもしれない。だから、息子を実家に置いておきたかったのではないかとも思う。

 キリスト教では「父なる神」という言葉をよく使う。わたしがその言葉から連想するのは、わがまま勝手な子どもであっても、その意思を尊重し、温かく見守ってくれる不器用な父のイメージだ。


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