毎年8月になると、日本各地で戦争の記憶が語られ、戦争反対の催しが開催される。先の戦争が終わって65年以上が経過し、戦争を知らない世代が多いのだが、戦争のない現在の日本は、果たして平和と言えるのだろうか?
平和学によると、平和とは次のように定義されるという。それは単に「戦争のない状態」ではなく、「直接的、構造的暴力のない状態」である。ここでの「暴力」とは「人間の能力が豊かに花開くのを阻んでいる原因」とされる。
「いじめ」や「体罰」、「ハラスメント」が存在し、被災して不自由な環境で生活しなければならない人々がおり、貧困や差別が社会問題として挙げられている日本の現実は、直接的、構造的暴力が確かに存在していると言えるのではないだろうか?
イエスは次のように弟子たちに言われている。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ14・27)
イエスの告げる平和も、ただ争いがない状態を指すのではなく、人間のあり方の根本に関わるもの、この世の事柄を超えたものとして指し示されているようである。
イエスはこの平和を与える約束の前に、次の事柄を話されている。それは、神さまから示された隣人愛の掟を守ること。それによって、神さまから愛され、神ご自身が共にいてくださること。イエスの教えをことごとく思い起こさせてくださる霊の助けがあること。
ここから「平和」とは、一人ひとりがお互いに大切にしあうことから始まり、神が共にいてくださることによって完成するもの、と考えられないだろうか?
尻込みしそうな私たちに対して、イエスは重ねて言われる。「心を騒がせるな。おびえるな。」と。