父のぬくもりって何があるのかなと思い巡らす機会が与えられた今回のテーマ、2年前に亡くなった父の生き方が見えてきたような気がします。
私の父は、小さいときに両親と死に別れ、家庭の暖かみを知らずに育ったせいか感情のコントロールが出来ず、怒りにまかせて、私を押し入れに入れて外から鍵をかけ、しばらく出さなかったり、万年筆のペン先で私のおしりを突いたりと過激でした。
でも、私が大きくなると、私が長男ということもあり、結構大人扱いをしてくれました。こんなこと小学校の高学年の子供に親が相談するかなあと思うときもありました。一人の人間として経験がないまでも認めてくれていた気がします。
そして、そのことはテストの点のことでもありました。あるとき、学校のテストの点が悪くて、父にどう言って謝ろうかと思っていたら、父は意外にも「良い成績の時は、見せなさい。悪い成績の時は、おまえのつらい顔を見たくないから、私に見せる必要はない。おまえが自分で反省するだろうから、それで十分だ」と話してくれたのです。だから私は成績のことで、父から文句を言われたことがありません。良い点しか父に見せないのですから。
また、高校の通知表に、人付き合いが悪いと書かれたときにも、「それは先生の立場で書いてあるものだ。おまえの立場で書いていないから気にする必要はない」と、いろいろなとらえ方があることを示してくれたのです。
父のこれらの態度は、一人の人間として、地にしっかりと足を付けて人生を歩むことの大切さを私に示してくれました。
ものごとを大きく捉えるまなざしが、一人の人間を成長させる、そんな暖かさを示してくれたのです。
私の父は細やかな神経をもった優しい人でした。
思い出はたくさんあります。小学生の時に遠足から帰った妹と私が、足が痛いと泣くと、私たちを床につかせ、眠るまで代わる代わる足をさすってくれたことがあります。だんだんと痛みがとれていくのが不思議でした。
子供の頃の私は、夜中にふと目を覚ますとよく父を起こしました。父は温かいミルクに卵を落とした甘い飲み物を作ってくれます。台所でカチャカチャと音がするのを聞いていると安心していつのまにか眠ってしまいます。「美味しいよ」と言ってそっと起こしてくれる父に「眠いから、いい」と言うこともありましたが、気を悪くせずそのまま眠らせてくれます。
父は芸術家肌の人で、版画を彫ったり詩を書いたりするのが好きでした。私たちが住んでいた北海道には「サイロ」という子供の詩の冊子が定期的に発行されていました。父と一緒に「サイロ」を読んで、好きな詩を批評しあうのは素敵なひと時でした。私が書く詩も父はよく褒めてくれたので認められた気がしたものです。
高校時代、学校帰りに駅で偶然父に会うと喫茶店でコーヒーを飲みながら友達のことや、本のことなどをいろいろと話しました。楽しそうに聞いてくれた父の柔らかな笑顔を思い出します。
父のぬくもり、優しさ、素晴らしさは、多くの挫折から生まれたものだと私は知っていました。普通の父親のように社会に適応できていなかったからです。しかし私は父を尊敬しており、大好きでした。
ずっとのちに私が大人になってから大きな試練にあった時、父はもう天国にいましたが、その愛は「生きなさい」と力強く私を支えてくれたのです。