父のぬくもり

服部 剛

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 妻の父親が81年の生涯を終えてから、まもなく2年になります。今も夫婦の会話で「お義父さん、あんなことを言っていたねぇ」と、しばしば思い出しています。

 お義父さんと初めて会ったのは、当時私が働いていた、高齢者の方々が通うデイサービスでした。その頃独身だった妻が、両親の介護をしており、彼女の負担を減らすため、お義父さんが通うようになったのです。

 お義父さんはコンピューターの大手企業で働き、新聞が活版印刷だった時代に、コンピューターで印刷するように変えるプロジェクトチームを立ち上げ、500年以上前のグーテンベルク以来の印刷革命を成し遂げました。

 仕事に大きなロマンを託す、個性的な人で、博識で文学にも詳しく、私は休憩時間によく話を伺ったものでした。いろいろと語らううちに親しくなり、家に帰ると娘に私のことを話していたようで、図らずも、お義父さんの存在が私と妻の縁を結ぶことになったのです。それでも私と妻の結婚に、父親としての気持ちは複雑だったようで、私が緊張しながら初めて家に挨拶に伺うと、「娘を食べさせていけるのか!」と声を上げた場面も、今は懐かしく思います。

 そんなお義父さんもダウン症児の孫が生まれると、その障がいさえも前向きにとらえ、本当に可愛がってくれました。そして、同居することになった私のことも受け入れてくれ、私たち家族と共に、義父は穏やかな晩年を過ごしました。

 お義父さんが旅立ってから1年が過ぎたある夜、私は夢の中で確かにお義父さんの声を聴きました。「何も心配することはない、思うままに生きて大丈夫だよ」。長年共に暮らした娘への感謝を込めて語っているようでした。

 目を閉じると、今もお義父さんがそばにいてくれるのを感じています。

父のぬくもり

小川 靖忠 神父

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 「り~ん、り~ん」。けたたましい音が鳴り響きます。朝の5時起床です。とはいっても、まだ寝ていたい気持ち。そのまま寝ていると「靖忠、時間だよ」。隣で寝ている父親から声がかかります。毎朝のお決まりの情景です。わたしが病気でない限り、毎日続いた父と子の朝のプログラムでした。

 毎朝5時30分の山口司教のミサの侍者をしたくて、父親と約束していたのです。毎朝しっかりと起こしてくれました。今になってみますと、実に、ありがたいことだったと思っています。

 しかし、父は決してミサに行くことはありませんでした。それでも、子どもが行きたいといえばちゃんと手伝ってくれるのです。

 聞いたことはありませんでしたが、父も小さい頃は侍者をしていたのでしょうか。そんな気がしてなりません。わたしが神学校に行きたいと言い出した時は、不安からか、司教に相談に行ったと、後で聞きました。

 このような父親でしたが、かなりの「太っ腹」でした。青年たち、若い壮年の皆さんがよく家に来ては、父親と議論を交わしていました。最後は、若い彼らに激励の言葉をかけて、「思い切って行け」と叫んでいたように思います。「後は年寄りに任せておけ」と。酒の席での話なので大したことはないと思っていましたが、教会内に青年会が立ち上がり、若者同士のカップルが何組も誕生したのです。

 その父親が、やっとミサに行き始めたのが、わたしが父のために祈りはじめて8年目でした。母から電話がありました。この時、父親と、その存在の温かみを感じたのです。

 父のぬくもりは、日頃は表に出てこない、秘められたものなのかなとしみじみ思ったものです。


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