もともと母はほっそりとした体型で、私が無事に産道を通って生まれるのは難しいと言われ、当時、珍しかった帝王切開で生まれた。弟は大変な難産の末に生まれた。母は、3人目の子どもを身ごもった時、おそらく命がけの出産になるはずだった。やがて母は寝込むことが多くなり、赤ん坊を流産した。その晩、父はずっと泣いていた。
その頃まだ同居していなかった祖母がきて、家事をして、母の体調が戻る頃に帰っていった。弟は全然覚えていなかったが、私は鮮明に赤ん坊がいなくなった日々を覚えている。
両親は豊かではない中、弟と私を私立の大学で勉強をさせてくれた。それは大変なことだったと思う。しかし、私はよい教育を受けさせてもらう度に、生まれなかった弟か妹にあやまった。
両親にさえ口に出して言わなかった私の十字架。それは生まれなかった弟か、妹の命のことだった。この十字架の支えがなければ、私は若者たちのために生きようとは思わなかったはずだ。
私は苦しむ若者に出会うたび、いつも私の弟か妹なのだと、姉のような気持ちになるのだ。きっとイエスは、神の愛を知らせる使命を私に与えるために、この十字架をくださったのだと思っている。