いやいやー、私が妻以外の偶像にひれ伏す、なんてつもりは絶対ありませんから。主が我らの支えであるように、妻は私の支えなのですから。(しかし、『イスラエル人もエジプトで虐げられていたよね』と言われそうですね)まずい!いや、同じようでも私はずっと大事にされていると思いますから。ふー。
こんな風に、世の中の夫婦も年をとってきて、互いにどことなく支えになりあっているというのが、自然ではないでしょうか。私達夫婦も、多分煉獄を通ってからでしょうが、主にまみえる時の事を話すことが多くなってきています。それまでは、この地上で支え合いつつ旅をする、これが主キリストと花嫁である教会の関係を表すのだと、聖パウロも書いておられます。(参:エフェソ5・25)ただ、うちの場合、主が妻で、花嫁が私という変わった関係ではありますが。