しかしながら、聖書によると、十字架上での死が避けられない、と自覚したイエスは、ゲツセマネの園で次のように祈られたと書かれています。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14・36)
イエスは、自分の願いではなく、神さまの御心が行われるようにと祈り、すすんで十字架の苦しみを受けられました。そして、その生涯の最後まで神さまへの信頼を失いませんでした。その結果、復活という出来事が起こったのでした。
何もかも自分の思い通りにいかない時、その時人間は、ただ神さまの御心を受け入れるしかないのかもしれません。また、これこそが、真の私の支えになっていくのかもしれません。
このようなイエスの姿に倣って生きること、これが本当のわたしの支えになっていくのでしょう。また、ここに、本当の信頼と希望を見いだすこともできるのだと私は思います。