また、物にも支えてもらっていると強く感じます。日常用品は言うに及ばず、パソコン、スマートフォン、地震警報装置、冷蔵庫、IHクッキングヒーター、テレビやラジオといった情報機器など、現代の生活はさまざまな「物」にも支えられています。
私は家に帰ってきて、「おうちさん、待っててくれてありがとう」と口に出して言うことがあります。出かけたらいつ帰るかも分からない住人を、じっと黙って待っていてくれ、いつ帰っても同じように迎え入れ、休ませてくれる家は、私にとっての支えの一つです。
人の支えになることが自分の支えということもあるでしょう。私は視力がないため、人に助けてもらう場面が多くなりがちですが、私が人様を助ける場面も、比率は少ないながらちゃんとあります。人々に感謝することは多くありますが、私が感謝されることもあるわけです。そんなときは、私も誰かの支えとなれたかも、と思うのです。
支えという言葉は一方向に捕らえがちですが、本当の支えは有機的にベクトルが変わるものではないでしょうか。その意味で、私はたくさんの支えを与えられており、また私自身が支えの役割を担ってもいるのだと感じるのです。