では、そのために、これから私は、そこまで遠い遠い旅をしなければならないのでしょうか。
あるいは、厳しい修行に明け暮れ、やっと、どうにか神様に認めて頂ければ御国に入れてもらえるのでしょうか。
この2つの考えは、人間の誠意として尤もではありますが、やはり間違いでしょう。というのも、神の聖性は例え私が宇宙の果てまで捜し歩いたとしても、その内側にも外側にもあるはずはないからです。次元が違うからです。
ところが、そんなに隔絶的に違う聖なる神の国が、実はもう向こうの方から私達の間にやってきている、と主イエスが仰います。イエス様によると、遠く旅する代わりに、貧しい心、子供の心をもって神に信頼すること、悔い改めて他人を兄弟のように愛する事が求められています。確かに、貧しかったり、子供だったりすれば、豊かな人に期待する、または親に全面的に期待する以外に、生きる道はありません。神様はこの態度を、まさにご自分の子供である私にも要求されるわけです。