例えば、試験で思いがけず悪い点数をとったとしよう。あるがままの自分を受け入れられない子どもは、「これは自分の実力じゃない。たまたま力が出せなかっただけだ」と開き直り、戻って来たテストを机の奥深くにしまい込むだろう。だが、あるがままの自分を受け入れられる子どもは違う。「残念だけれど、これがいまの自分の実力だ」と冷静に受け止め、テストと向かい合って間違ったところを復習することができる。成績がどんどん伸びていくのが、後者であるのは間違いない。
これは勉強に限らない。スポーツでも、仕事でも、成長してゆくのは、あるがままの自分を受け入れられる人だ。プライドが高く、自分の間違いを認めようとしない人が成長することはあまりない。先生や先輩から間違いを指摘されたときに、素直に受け入れ、一つひとつ直してゆける人はどこまでも成長してゆく。
キリスト教には、「絶えざる回心」という言葉がある。人間の成長には、どこまで行っても完成ということがない。自分の不完全さを認め、神に立ち返ることで、人間は最後の日まで成長を続けるのだ。高すぎるプライドを捨て、あるがままの自分を受け入れる素直さこそ成長の鍵。そのことをしっかり心に刻みたい。