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たえず1歩前に

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 講演会などで、わたしはよく「あるがままの自分を受け入れることが、何よりも大切だ」と話す。すると時々、「神父様、子どもの前で、あまりそんなことを言わないでください。『あるがままでいいんだ』と開き直って、勉強しなくなります」と苦情が出ることがある。そんなときわたしは、間髪入れずに、「それは逆です。あるがまままの自分を受け入れられる子どもこそが、勉強してよい成績を取るのです」と答えることにしている。

 例えば、試験で思いがけず悪い点数をとったとしよう。あるがままの自分を受け入れられない子どもは、「これは自分の実力じゃない。たまたま力が出せなかっただけだ」と開き直り、戻って来たテストを机の奥深くにしまい込むだろう。だが、あるがままの自分を受け入れられる子どもは違う。「残念だけれど、これがいまの自分の実力だ」と冷静に受け止め、テストと向かい合って間違ったところを復習することができる。成績がどんどん伸びていくのが、後者であるのは間違いない。

 これは勉強に限らない。スポーツでも、仕事でも、成長してゆくのは、あるがままの自分を受け入れられる人だ。プライドが高く、自分の間違いを認めようとしない人が成長することはあまりない。先生や先輩から間違いを指摘されたときに、素直に受け入れ、一つひとつ直してゆける人はどこまでも成長してゆく。

 キリスト教には、「絶えざる回心」という言葉がある。人間の成長には、どこまで行っても完成ということがない。自分の不完全さを認め、神に立ち返ることで、人間は最後の日まで成長を続けるのだ。高すぎるプライドを捨て、あるがままの自分を受け入れる素直さこそ成長の鍵。そのことをしっかり心に刻みたい。