それができたのは、神さまが望まれたからなのだ。絵物語が終われば、私は何をすればいいのだろう。私はすぐに次の執筆の仕事を探そうとした。どこで探したらいいのかも検討がつかず、不安が霧のように立ちこめた。私はどこに行こうとしているのだろうと...。
次の日の朝、天啓のように恩師から電話があった。「終わった仕事は忘れて、人に仕事を頼んだりして、借りを作ってはいけない。普通の仕事を探して、これは使命だと思う仕事に出会うまで、成すべきことをして待ちなさい」と言われたのだ。
この言葉は、不安に苛まれて立ち往生していた私を、すっと1歩前に送り出してくれた。神さまが望まれたら書けばいいのだ。
2、3日すると心が静けさを取り戻し、「心のともしび」には、朝、ラジオを聴いた方が幸せで心豊かな一日を過ごせるようなお話を書こうと思った。
ふとあの大聖人である聖パウロのようなお方でさえ、日中はテント職人として働いていたことを思い出した。聖パウロは生活者としてきちんと働きながら、多くの信徒たちへ手紙を書き送っていたのだ。私にできる仕事を探そう。幾つか候補が見つかった。もし働かせてもらえるならば、控えめに、けれど自分の思いから、たえず1歩前に出て、明るく働いて行こうと思った。