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たえず1歩前に

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 八木重吉氏の詩の中に、「基督」という作品があります。「キリストを仰ぎて黙す。険しい路を思う。キリストに掴ろう。キリストに掴ろう。振り放されても、振り放されても、掴ろう」。

 私は、キリストの事を思う時、険しい山を思う時があります。一方では、これ以上登れないのではないかと、険しい山の前で呆然としている、そんな自分がいます。

 そんな私を、勇気づけてくれた動画があります。以前テレビで放映されていた、鴨の親子の道路横断の動画です。親鴨を先頭に、十羽以上の子鴨がその後に続いて道路を横断していました。親鴨は、車道と歩道の段差をいとも簡単に飛び越えて行きましたが、子鴨達は車道と歩道との間の段差を乗り越えるのに悪戦苦闘していました。暫くして、子鴨の中の半分以上は、車道と歩道の段差を乗り越え親鴨に着いて行ったのですが、残る4羽くらいの子鴨たちは乗り越えることができず、立ち往生して困り果てているような気配でした。その時です。彼らが、自分達が飛び越えようとしている道路の部分のその先に、車道と歩道の段差のない部分を発見したのは。子鴨達は無事そこを通って、親鴨に着いて行きました。

 私は、毎日の生活の中で、険しい山の前で立ち往生してしまうような経験をする時、この動画の事を思い出します。ただ正面を見つめて呆然としてしまうのではなく、周囲を見渡していれば、山の向こう側に出る方法を見出せるような気がするのです。

 聖書の中に、次のような言葉があります。「神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせる事はなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます」。(1コリント 10・13) 有難い事です。