そのことを想いながら自分の胸に手を当てて振り返ってみると、大きくなった私たちは様々な事柄について、片手間に物事をしていたり、心ここに在らずで何かをしていることはないでしょうか。知らないうちに、祈りについてもそうなっていなければ良いのですが...。
私がその昔お世話になった神父様は、祈りについての説明で「神のために時間を燃やす」と言っておられたことを思い出しました。 あらためて子どもが祈るひたむきな姿を想うと、短い時間、ほんの一瞬かも知れませんが、神のために時間を燃やしている様に思います。
子どもが精一杯、自分の存在全てをあげて手を合わせ祈っている姿を想い浮かべながら、その姿を見習ってはいかがでしょうか。ひたむきな心で「神のために時間を燃やす」ひと時、その様な祈りの時を持つなら、私たちの生活は大きく変えられてゆくでしょう。
私たちは様々なことのため時間を取りますが、神様のため時間を取っているでしょうか。神様のため時間を燃やしているでしょうか。どうか私たち一人一人が神様との時を大切に過ごしてゆくことができます様に。