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子どもへの祈り

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 もう10数年も前、よく私のところに話をしにくる学生がいました。

 私は彼のことをとても賢く、よい資質をもった生徒だと思っていましたが、彼は自分のことが好きではなく、周りからも嫌われていると思い込んでいました。それは、若い時期には時々あることです。思春期の特徴で、自分に過度に集中し、狭い視野で判断してしまうのでしょう。欠点を実際以上に大きく感じてしまうようなのです。

 ある日、私が家で祈っていると、ふとこの生徒のことが強く思い浮かんだので、彼のために特に心を込めて祈りました。

 しばらくして、学校で会った時に話しかけてみました。「どう?元気だった?少し休んでたようだから、ちょっと祈ったのよ」と。すると彼はこう言いました。「先生が祈ってくれた日の夜、風呂の中で本気で手首を切ろうとしたんだ。死にたいと思ったから。でも何度やろうとしても、どうしてもできなかった。先生の祈り、聞かれたよ」と。

 私は心臓が凍りつくほど驚きました。祈ってよかった、と思ったのと同時に、人は他者の苦しみを自分の力ではキャッチできない、と思いました。私は彼と話していて、問題がそれほど深刻だとは感じとることが出来ませんでした。

 私の心に「祈るように」、と強く勧めた方は、人ではなく神ご自身だったのです。

 「先生の祈り聞かれたよ」という言葉はその後、何10回もたびたび思い出しました。

 私はいま、他校で講師をしています。講師は授業が終わると帰るので普段の生徒の姿がわかりません。でも、気になることがあったら祈るようにしています。神さまが生徒を守ってくださるように委ねています。