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子どもの祈り

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 「子どもの祈り」という事を考えた時に、直ぐに想い出したのはわたしが10歳のときのことでした。

 キリスト教を信仰する姉の話を、東北の雪深い小さな町で、炬燵に入りながら、わたしはじっと聞いていました。

 それによると、神さまが存在すること、天国に行きたければ、神さまを信仰し、よくお祈りをして、良い子にならなければならないということでした。

 その話を聞いて、すぐさま神さまを信じたわたしは、姉がくれた子ども向きの「祈りの本」を用いて、神さまに良い子にしてください、と熱心に祈りました。その結果、良い子になったのかどうかは分かりませんが、教会も知らない、洗礼も受けていないわたしが、暇があれば、独りで祈っていたことは確かです。

 それは、周りの環境が安心立命を得られるようなものではなかったので、いつも無常を感じていたからだと思います。つまり、子どもですから、親がいなければ、いつも不安です。そこで、神さまにすがって生きていこうとしたのでしょう。

 アウグスティヌスという偉大な聖人の言葉にあるように、「神さま、あなたはわたしたちをあなたのためにお創りになりました。だから、あなたの許に憩うまで、わたしたちの心は安らぐことがありません」でしょう。

 子どものわたしは、神さまの内に安らぎを得ようとして、熱心に祈っていたのでしょう。完全な安らぎは、信者になってから経験しましたが、祈りの効果というのは、子どものときに経験しました。それは、小学校四年生のときクラスでいじめに遭いましたが、祈ってからは、不思議にいじめられたことがありませんでした。