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分岐点

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

20代の頃、勤めの帰りに料理教室へ通っていた。花嫁修業などと言う言葉が生きていた時代で、若い女の子たちは1日の仕事の後で疲れていたが、すぐ仲良くなり、一緒に料理を習って、出来上がったものを食べるのを楽しんでいた。

その中に、1人の年配の女性がいたのである。服装も物腰も洗練されているとは言えず、本人は楽しそうなのだが、周囲からは浮いた存在だった。そしてこの人は、自分の料理を嬉しそうにタッパーに詰めて持ち帰るのである。

或る日、隣にいた女の子が眉をひそめて言った。「あの人、いつも食べないの。食事して電車に乗ると気持ち悪くなるんだって。嫌よねえ」。私はびっくりした。私はその人の行動に、むしろ感動していたのである。恐らくその人は、料理教室の洒落た美味しい料理を、家で待っている誰かに食べさせていたのだ。自分の夕食がなくて、空腹に胃が痛くなっても、それが彼女の幸福なのである。電車で気持ちが悪くなるなどとは、彼女なりの穏やかな嘘なのだ。

私はその時、周囲の女の子たちから、自分がすっと離れていくのを感じた。まるで目に見えない分かれ道があって、1人だけ別の道を歩き始めたような具合だった。その道は、女の子たちがいる楽しげな道とは違って、暗く険しい。人の悲しみを通る道だった。それが分かった。自分のような未熟者には何も出来ないかもしれない、でもこの道を知っているからには、この道を歩くという気持ちが湧いた。不思議な瞬間だったと思う。

生きる悲しみは長く続くこと、だが、幸福が思いがけない姿で、道々に待っていることなど、その頃は、まだ分かっていなかった。