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分岐点

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

私に指揮を習いに来ていた、女性合唱指揮者がいらっしゃいました。数年前、その方は、家族で丹沢に登山中、皆が休む時、もう少し先まで1人で行くと言って、そのまま行方不明になってしまったのです。山道の分岐点を見失ったのか、夜になり、朝になりで、捜索隊に発見された時にはすでに亡くなっていたのでした。私にも悲しい出来事でした。

さて、気を取り直して、聖書の世界を覗いてみましょう。ガリラヤ湖で漁をしていたシモン・ペトロたちに、分岐点というような、至極尤もな立ち位置はあったでしょうか。

「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と言われ、彼らは瞬時に網も舟も捨てて、主に従いました。(ルカ5・10~11)神の国への分岐点が、主の手によって、向こうからこちらへ、伸びてきているようです。それでも、普通の人々ならどうしたものか、迷うところです。事実、別の人は主に「まず、家族にいとまごいに行かせて下さい、それから従います」と頼んだところ、主から「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国に相応しくない」とまで言われています。(ルカ9・61~62)

人として生きる上で生じる様々な分岐点は、自分と社会の間で誠実に、時間をかけて選んでいいのでしょうが、主が何かせっかちに仰っているように見えるのは、神の国はもう「すでに来た」と仰りたいからです。そして、私達はその神の国の道を歩まなければならないと仰りたいからなのです。

こうして、年を重ねている私達夫婦も、ペトロの後継者、教皇フランシスコの絶えざる呼びかけに少しでも応じ、不幸な、見放された人々のために、まだ出来る仕事の報酬からの幾ばくかを送りたいと思うのです。それは、残された天国への道すがらの小さな分岐点なのです。