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分岐点

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

この頃、老いた母を見るたびに、あのときは済まなかったなあと、思い出すことがあります。

それは、私が小学校の高学年だったときのことです。

私は長男でしたからとっても家族から大事にされて育ちました。それは、わがままに近く、自由に振る舞っていたように思います。

例えば、母がお菓子の小売店を営んでいたことから、釣り銭箱に手を入れて私の小さな手でつかめたお金が私の小遣いになり、店のお菓子は自由に私のおやつになるといった具合です。それはまた、時々、母や父がいないとき、代わりに店番をするといったことの褒美でもありました。

そんなある日、事件が起こりました。我が家のその店に働きに来ていた近所の主婦の人に、私が大変な暴言を吐いたらしいのです。どんな暴言かは未だに私は思い出せないのですが・・。

その人は、カンカンに怒って「もうここでは働かない」と、すぐに辞めてしまったのです。それだけでも大変なことなのですが、その後、母がその人に対して、ひたすら謝っていたのです。そして、聞くところによりますと、どうもその人に母が借金をしていて、すぐに返せと言い寄られているようなのです。

私はそれを聞いて、私の暴言によって母親が窮地に立たされていることを知り、青くなりました。

ところが、その後、こっぴどく叱られると思っていた私に、母親は一言も苦言を言わずに、普段のように接してくれたのです。

この出来事が、私は両親から愛されている存在なのだという体験の原点となり、我が儘ばかりしていては生きていけないと悟る、転換点となったのです。