ところで、初代教会において、使徒達が集まっていた所に共に集っていた人達が、「誰も彼も、自分の故郷の言葉で使徒達が話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまう」という出来事がありました。(使徒言行録:2・6)この時、彼らは、次のように言っています。「話をしているこの人達は、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私達は、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」。(同2・7~8)この時、共に集っていた人達は、教会の中に自分の故郷を感じていたのではないかと思います。
確かに教会は、万人にとって心の故郷のようなものです。けれども、忘れてはならないことは、私達の真の故郷、「本国は天」にあり、教会はその「しるし」であると言うことです。
全ての人が、特に故郷を失ってしまった人達が、真の心の故郷を見出すことができますようにと祈ります。