2018年10月17日の心の糧


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わたしの故郷

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ 神学生の時の夏休みの帰省は、陸路で、今よりも時間を要する旅でしたが、大きな楽しみの一つでした。当時、東京から博多まで新幹線、博多から熊本まで特急、熊本から私の故郷の最寄りの駅まで各駅停車というふうに、電車を乗り継ぎながらの旅をしました。その時、非常に興味深かったのは、電車の中で話される言葉及びその中の雰囲気が、それぞれの区間で違うという事でした。東京から博多迄の新幹線の中では、それほど感じませんでしたが、博多で特急電車に乗り換えますと、途端に車内のあちらこちらから九州弁が聞こえてきました。熊本で各駅停車に乗り換えますと、車内で話される言葉が、純粋な熊本弁に変わりました。その時私は、故郷に帰って来た喜びを、しみじみと噛み締めたものでした。

ところで、初代教会において、使徒達が集まっていた所に共に集っていた人達が、「誰も彼も、自分の故郷の言葉で使徒達が話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまう」という出来事がありました。(使徒言行録:2・6)この時、彼らは、次のように言っています。「話をしているこの人達は、皆ガリラヤの人ではないか。どうして私達は、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか」。(同2・7~8)この時、共に集っていた人達は、教会の中に自分の故郷を感じていたのではないかと思います。

確かに教会は、万人にとって心の故郷のようなものです。けれども、忘れてはならないことは、私達の真の故郷、「本国は天」にあり、教会はその「しるし」であると言うことです。

全ての人が、特に故郷を失ってしまった人達が、真の心の故郷を見出すことができますようにと祈ります。