教会もまた、新しい福江教会ではなく、あのひなびた木造の朽ちかけた教会である。
すきま風だらけの板張りのけいこ部屋もよく登場する。
そこには繕って繕って布の固くなったスータン姿の神父さま、手編みのカーディガンを着た教え方さまがにこにことして現れる。
私にとってふるさととは、子どもの頃、心を育ててくれた小さい場所である。
飛行機で行く五島ではなく、舟に乗って行く五島である。
バス代もなく、遠い教会へ行くのに、てくてくと歩いたほこりっぽい五島の道である。
今や五島も地方都市と呼ぶにふさわしい町と化した。
しかし、先日、五島を紹介するテレビ番組を見ていたら、案内役の男性タレントが五島の人々のやさしさ、あたたかさを一生懸命伝えていて胸が熱くなった。
そうなのである。景色がきれいとか、魚がおいしいとか・・・だけではなく、人々の心が純朴なことに感動して欲しいのである。
少女の頃、神父さまに「心は地球を包めるくらい大きい」と教えていただいた。
父母には、貧しかったけれどだれにも負けないくらいの愛情を注いでもらった。
私のふるさとは新栄町の家であり、木造の粗末な教会であることをあらためて思った。