2018年10月09日の心の糧


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わたしの故郷

植村 高雄

今日の心の糧イメージ わたしの故郷とは何だろう?

昭和31年、越後長岡から希望にあふれ、青雲の志を抱いて東京の大学に進学します。最初の夏休みを迎えて故郷に帰る日。やっと出来た数名の学友は、鹿児島や北海道の故郷へ生き生きと嬉しそうに帰るのですが、私には、そこまでの喜びはありませんでした。

父母兄弟に会える喜びは大きいのですが、学友たちのように、幼稚園時代からの友達や親戚のこと、そして鹿児島湾に浮かぶ美しく雄大な火山・桜島や、厳寒のオホーツク海流氷風景のことなど、人情と故郷の山河を自慢げに語る姿を羨ましく思いました。

海軍の職業軍人の家庭に生まれた私は、同じ家に2年以上住んだ記憶がありません。戦後の疎開生活でも、同じ越後の中をあちこち引っ越していました。

不思議な現象ですが、何故か寂しい人生だなあと感じることが多く、高等学校2年生の時にカトリックの教会を訪れ、やがて、洗礼を受けます。そこで同じ敗戦国出身であるドイツ人の神父さんと出会い、時として戦争の話になり、テーブルを叩いて戦争の惨めさ、人生の哀しさを夜遅くまで会話していた記憶もあります。

数か月後は宇宙の話、天地創造の神様の話、神の愛とは何か、という話題から旧約聖書・コヘレトと雅歌の話題になりました。コヘレトを読みますと、少年ながら自分の話だなあと感じましたが、雅歌になりますと、世の中にこのような美しい愛の世界があることに気づきだします。このような愛の世界が本当に存在するならば生きる価値がある、と少年ながら生きる希望を感じました。

その時から60年生き抜き今、心の底から本当に愛が存在していたことを体験し、心からあの時の神様の摂理を感謝しています。