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わたしの故郷

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

年に2回、お正月とお盆には、母の住む埼玉の実家に帰ることにしている。わたしが子どもの頃、実家の周りには田んぼや畑がたくさんあった。小学校へは、毎日、田んぼの中の一本道を通って行ったものだ。それが、最近ではすっかり様子が変わった。田んぼは埋められ、畑はアスファルトで固められて、どこもかしこも住宅や駐車場になってしまった。近所を散歩していても、自分がどこにいるか分からなくなってしまうほどだ。

変わってしまった故郷を嘆きたくもなるが、よく考えてみれば、わたし自身もずいぶん変わった。真っ黒に日焼けし、虫捕り網や釣竿を持って駆け回っていた少年の面影は、もうどこにもない。いまでは、眼鏡をかけ、聖書を手にしてのそのそ歩き回る中年太りのおじさんがいるだけだ。子どもの頃の友人がわたしを見かけたとしても、きっとすぐにわたしとは分からないだろう。

故郷もわたしも、すっかり変わってしまった。だが、変わらないものも確かにある。目を閉じて心の中を探ってゆけば、わたしの中にまだあの時の少年が生きている。満々と水をたたえた初夏の田んぼが放つ青臭いにおいも、鼻に鮮明に残っているし、泥遊びをするときに感じた土のぬくもりも、しっかり手に残っている。少年の日のわたしをしっかり抱きとめ、大きな愛の中で育ててくれた故郷はいまもわたしの心の中に生きているのだ。すでに亡くなった父や祖母の思い出も、心の中に深く刻まれて、変わることがない。年老いた母が作ってくれる手料理の味も、子どもの頃と同じだ。すべてが変わってゆく中で、いつまでも決して変わらないもの。心の奥深くにあって、いつでも帰って行ける場所。それが故郷なのかもしれない。