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自然とわたし

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

本や雑誌などに花や鳥の写真を発表している関係で、「どうしたら、あんなに美しい瞬間を写真に収められるんですか」と尋ねられることがある。「それは、暇だからです」と、わたしは答えることにしている。

実際、忙しくて目の前の花や鳥をゆっくり眺める時間のないときに、よい写真を撮ることはできない。「あれもしなければ、これもしなければ」と次のことを考えながら、そそくさと写真を撮っても、決していい写真にはならないのだ。撮影に出かけるときは、他のことをすべて脇において、撮りたい花や鳥たちに気持ちを集中する必要がある。あわただしい人間の時間の流れを離れて、花や鳥の時間の流れに身を委ねると言ってもいいだろう。花には花の時間があり、鳥には鳥の時間がある。「次の仕事があるから10分のうちに写真を撮ろう」というような気持を捨て、時間を忘れて花や鳥と向かい合わなければ、決していい写真は撮れないのだ。

時間を忘れて写真を撮るうちに、花や鳥は、わたしたちがこれまでに見たことのないような表情や動きを見せてくれる。「わたしは、花や鳥のことを何も知らなかった」と思わされるようなことも度々ある。人間の時間を離れ、自然の時間の流れの中に迷い込んできた人間だけに、自然は自分の本当の顔を見せてくれるのかもしれない。

神様に祈るときも、それとまったく同じだ。「あれもしなければ、これもしなければ」という考えをいったん脇に置き、神様だけをじっと見つめる祈りの時間の中で、わたしたちはこれまでに知らなかった神様の愛の深さに気づかされる。花や鳥たちの時間、神様の時間に身を委ねる心のゆとりを大切に守ってゆきたい。