しかし、これらの絶景がどれほど私の心を揺さぶったとしても、それはやはり、私の心から愛する神の美しさのほんの片鱗を、どうにかうかがわせるだけだと言えます。私の目に、偉大な、それでいながらやさしい神の衣のすその、そのまた一番端のところを垣間見せてくれるに留まっているのです。ですから、詩編の一節のように主の家の庭は何と美しいことか、それを思って私の心は絶え入るばかり・・と歌うのも尤もだと思うのです。(参:84・2~3)
ところで、イエス・キリストが福音、即ち神の国の訪れを述べ伝えられた地域は、主としてイスラエルの北の方、ガリラヤ湖の周辺だったようで、このあたりですと、南のシナイ半島に近い地方とは違って、自然も豊かで、木々や草花に恵まれているようです。
そこで、主イエスは折にふれて、手近な自然を用いて、人々に神のことを話されたのです。例えば、「空の鳥を見なさい、種も蒔かず刈り入れもしないのに天の父は鳥を養って下さる。野の花を見なさい、働きも紡ぎもしない。言っておくが、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。だからあなた達はまず神の国を求めなさい。あなた達に必要なものは、すべて天の父がご存知である」と。(参:マタイ6・26~33)