わたしの好きなみ言葉

三宮 麻由子

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私が好きな言葉には、励まし、慰め、助言、戒めなど、効果別にいくつかあります。そのなかで、今回は戒めでもあり、希望にもつながる言葉をご紹介したいと思います。

「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」(ルカ12・2~3)

ときどき、小さなうそをついて世渡りをする人がいます。自我を通したりちょっとだけ得をしたり、ときには相手の犠牲の上に自分の目的を果たしたりするために、うそで切り抜けるのです。日本には「うそも方便」という言葉があり、誰も傷つかないうそや、救いにつながるうそは許される風潮があるように思います。

たしかに、何でもグサグサ言えば良いわけではないし、ときには心を保護するためにあえて真実を知らせないであげる配慮も「あり」でしょう。

しかし、私の経験では、うそは必ずいつかあばかれます。うそをついているそのときには、世渡り上手な人がうまいこと切り抜けて得をしているように見えます。でも、たとえば長年のデータ改ざんや著名人の不倫、さまざまな不正が明らかになって騒ぎになっている昨今の情勢一つ見ても、うそは必ず白日の下にさらされ、うそつき本人に対して結果をもたらすことが分かります。

「そのうそ、ばれてるよ」

うそに気付いたとき、私はそんな言葉を飲み込みながら、あの聖書の言葉を心の中で相手に投げかけます。不正を受けてもきっと大丈夫。神様は、黙っているようで、ちゃんと見ておられるのだと思います。

わたしの好きなみ言葉

越前 喜六 神父

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わたしは書店に生まれ、多くの本に囲まれて育ちました。しかし、読書をしていると、親父から、「本なんか読んで遊んでいるんじゃない」と叱られたものです。でも、こっそり隠れて、童話や小説などを読んでいました。ですから、好きな言葉は沢山あります。

聖書の言葉を別にすると、明治時代に流行った「天は自ら助くる者を助く」という、いわゆる自助努力という言葉が、自分の青春時代を支えていたので、大好きです。

明治の文明開化の時代、多くの日本人は、『西国立志伝』という本を読んで発奮し、自らに与えられた尊い能力や才能をフルに発揮しようと努力して、多くの偉大な業績を残されました。

わたしは、両親を早く亡くし、兄弟の多い大家族の末っ子として育ちましたが、子どもの頃より、自分のことは他人に頼らず、自分自身でやろうと決意し、今日までやってきました。

戦中・戦後の暗い世相の中、ただ神にのみ頼り、祈りながら、人事を尽くしてきました。そこで分かったことは、人にはみな、すばらしい可能性があること、それは、他者によって引き出されるものではなく、自らの力で引き出すものだという真理です。自ら自己の運命を切り開こうと努力する時、神は必ず助けてくださいます。

わたしはこうした生き方をしてきて、本当に困ったことはありませんでした。どうしても助けが必要な時は、謙虚に最小限度の援助をお願いしました。そして、自らには、意識していない宝が沢山隠されていることも知りました。わたしたちは神の子として、必要なものは与えられているのではないかと思います。

 

聖書にもこう書かれています。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6・33)


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