わたしの好きなみ言葉

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

「試験に落ちたらどうしよう」「仕事がうまくゆかなかったらどうしよう」などと先のことを心配して思い悩んでいる人々に、イエス・キリストは、「空の鳥をよく見なさい」(マタイ6・26)と語りかけた。鳥たちは社会的な成功をおさめているわけでも、立派な仕事をしているわけでもない。それにもかかわらず、神様は毎日の糧を与えて養って下さっている。鳥たちでさえそうなのだから、もしわたしたち人間が失敗し、何もできなくなったとしても、神様は必ず生きてゆくために必要なものを与えてくださるに違いない。先のことは神様の手に委ねて、鳥たちのように、1日1日を精いっぱいに生きなさいというのだ。

そもそも、先のことをあれこれ思い煩ったところで、明日まで生きている保証さえわたしたち人間にはない。それどころか、1分先に何が起こるかさえ予測できないのが人間の限界だ。先のことをあれこれ思い煩っても、ほとんど意味がない。わたしたちにできるのは、与えられた今この瞬間を精いっぱいに生きることだけなのだ。

仕事に追われ、様々なことに思い悩む日々の中で、わたしたちは空の鳥をじっと見たり、道端の花に目をとめたりするゆとりを失っている。そんなとき「空の鳥をよく見なさい」というイエスの言葉を思い出したい。鳥や花、空をゆく雲の美しさに魅了され、時間を忘れて大自然と向かい合っているうちに、日々の生活の思い煩いで疲れ切った心は少しずつ癒されてゆく。そして、あわただしい生活の中で忘れていた大切なことを思い出すのだ。

わたしたちは神の愛の中で生きている。先のことなど何も心配する必要がない。そのことをしっかり心に刻み、1日1日を精いっぱい生きてゆきたい。

わたしの好きなみ言葉

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

還暦の祝いの後、気軽に受けた健康診断で夫の癌が見つかり、奈落の底に突き落とされた。手術入院の前夜に帰国した末息子からアメリカの友人の土産として聖書のみ言葉カードの小箱を受け取った。

その一枚目に『・・・私を呼ぶがよい。苦難の日。私はお前を救おう。そのことによってお前は私の栄光を輝かすであろう』(詩編50・15)という一節を見て私はハッと胸が熱くなった。夫の癌など知らずに旅立った息子や友人を通して神様が救いのメッセージを下さった!と思ったからだ。

私はそのみ言葉のカードを毎日1枚ずつ読んで紙に書き移して病室の壁に貼り、心の支えとした。夫の病状に一喜一憂する、その日、その時の状況に、ぴったりの励ましや慰め、希望の言葉が書かれていて、私はどれだけ慰められ、救われたかしれない。

例えば、2度の大きな手術の後、高熱が続き、夫はもう治らないのではないか?と絶望しかけた時、その日のカードに「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)とのみ言葉があった。私は神様が一番いいようにして下さる・・・と思い直して、イエス様に全てを委ねて祈った。すると心が軽くなり、新しい力が湧くのを感じた。

夫は一時職場復帰したが、癌の再発は容赦なく、迫り来る死の破壊力の前には、この世のものは何の力もないことを悟らされた。

しかし、死から復活されたイエス様に委ねて祈れば、心が安まり、苦しみに耐える力をいただいた。この時、死の暗闇の恐怖から私たちを守り、救い上げて下さるイエス様は、まさに天から差し込む一条の光、命綱だった。

夫はこの命綱に縋って微笑みながら天に召された。私は今、しみじみと想うのである。

「イエス様のみ言葉は全て真実。イエス様は真の救い主だ」と。


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