そもそも、先のことをあれこれ思い煩ったところで、明日まで生きている保証さえわたしたち人間にはない。それどころか、1分先に何が起こるかさえ予測できないのが人間の限界だ。先のことをあれこれ思い煩っても、ほとんど意味がない。わたしたちにできるのは、与えられた今この瞬間を精いっぱいに生きることだけなのだ。
仕事に追われ、様々なことに思い悩む日々の中で、わたしたちは空の鳥をじっと見たり、道端の花に目をとめたりするゆとりを失っている。そんなとき「空の鳥をよく見なさい」というイエスの言葉を思い出したい。鳥や花、空をゆく雲の美しさに魅了され、時間を忘れて大自然と向かい合っているうちに、日々の生活の思い煩いで疲れ切った心は少しずつ癒されてゆく。そして、あわただしい生活の中で忘れていた大切なことを思い出すのだ。
わたしたちは神の愛の中で生きている。先のことなど何も心配する必要がない。そのことをしっかり心に刻み、1日1日を精いっぱい生きてゆきたい。
私はそのみ言葉のカードを毎日1枚ずつ読んで紙に書き移して病室の壁に貼り、心の支えとした。夫の病状に一喜一憂する、その日、その時の状況に、ぴったりの励ましや慰め、希望の言葉が書かれていて、私はどれだけ慰められ、救われたかしれない。
例えば、2度の大きな手術の後、高熱が続き、夫はもう治らないのではないか?と絶望しかけた時、その日のカードに「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11・28)とのみ言葉があった。私は神様が一番いいようにして下さる・・・と思い直して、イエス様に全てを委ねて祈った。すると心が軽くなり、新しい力が湧くのを感じた。
夫は一時職場復帰したが、癌の再発は容赦なく、迫り来る死の破壊力の前には、この世のものは何の力もないことを悟らされた。
しかし、死から復活されたイエス様に委ねて祈れば、心が安まり、苦しみに耐える力をいただいた。この時、死の暗闇の恐怖から私たちを守り、救い上げて下さるイエス様は、まさに天から差し込む一条の光、命綱だった。
夫はこの命綱に縋って微笑みながら天に召された。私は今、しみじみと想うのである。
「イエス様のみ言葉は全て真実。イエス様は真の救い主だ」と。