1という数はシンプルな数字だ。神さまは、もしかすると、3番目のしもべには、たった1つの能力を発揮するように望まれたのかもしれない。1タラントンを預けられたしもべは、「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しいお方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」と言い訳をした。(参:24~25節)すべてを神さまにお任せして飛びこめば、思いがけない自分を発見し、人びとに喜びを分け与えられたのにと思えるのだ。
主人が1タラントンを預けたしもべには、彼だけに与えられた能力発揮のチャンスだったかもしれない。行動を起こさないうちに、心が揺れ動き、きのうがきょうになり、きょうがあしたになりと、引き延ばしているうちに、時は流れ、時間切れになってしまった人のことを指すのだろう。
たった1つの能力、自分のタラントンにひたむきに生きるひと、野球のイチロー選手のような人は素敵だと思う。
日本の中で重大な社会問題となっている「引きこもり」等の問題も、これと繋がっているのではないかと思います。詰る所、日本社会の中ではこれまで、様々な分野の英才教育は行われてきていますが、奈落の底に落ち込むような体験をする時、そこからどのように這い出せば良いのか、その教育が余りなされていないのではないかと思います。
イエス様は、潔白の身でありながら死刑に処せられるという、人類史上、誰も経験したことのない奈落の底の体験をされました。けれども、その後、復活し天に昇られました。
先のイザヤ書の言葉は、イエス様のそのような姿を彷彿させてくれます。
私自身も、スランプに落ち込む時、イエス様の服の裾でも良いので、掴まるようにしています。そうすれば、また直ぐに鷲のように翼を張って上ることができると思うからです。