わたしの好きなみ言葉

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

聖書を青春真っただ中で読んだ時と、歳月を経て読む今とはずいぶん理解が違う。マタイの25章に、気になるみ言葉がある。

主人が旅に出る時、しもべたちを呼び、それぞれの力に応じて、「1人には5タラントン、1人には2タラントン、もう1人には1ラントン預けて出かけた」というところだ。(15節)

今、同じ聖書箇所を読み返して見ると、神さまの不思議な数字の感覚を見る。タラントンの意味は、財産や貨幣価値のみを言っているのではないように思える。5タラントンは事業など幅広い経営に向いている人、2タラントンは地道に働き生活を維持する人に思える。1タラントン預けられたしもべには、何を期待していたのだろう。

1という数はシンプルな数字だ。神さまは、もしかすると、3番目のしもべには、たった1つの能力を発揮するように望まれたのかもしれない。1タラントンを預けられたしもべは、「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しいお方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました」と言い訳をした。(参:24~25節)すべてを神さまにお任せして飛びこめば、思いがけない自分を発見し、人びとに喜びを分け与えられたのにと思えるのだ。

主人が1タラントンを預けたしもべには、彼だけに与えられた能力発揮のチャンスだったかもしれない。行動を起こさないうちに、心が揺れ動き、きのうがきょうになり、きょうがあしたになりと、引き延ばしているうちに、時は流れ、時間切れになってしまった人のことを指すのだろう。

たった1つの能力、自分のタラントンにひたむきに生きるひと、野球のイチロー選手のような人は素敵だと思う。

わたしの好きなみ言葉

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

私の好きな御言葉の一つは、イザヤ書の中の次の言葉です。「若者も倦み、疲れ、勇士も躓き倒れようが、主に望みを置く人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。(40・30~31)

現代の若者の中には、年端もいかない頃から英才教育を受け、若くして大成功を収める人達がいます。メディアが取り上げるアスリートの人達も、そのような部類の人達だろうと思います。ただ、この人達の中には、一旦頂点に立った後、スランプ等に陥った時、どのようにしてそこから抜け出すか、それに苦慮している人達が多くいると聞いています。若くしてそのような重荷を背負う彼らに同情の思いを禁じえません。新たな若手が台頭してきたりする時、どのように平常心を保って生活していくか、それは誰もが抱えうる大きな課題です。

 

日本の中で重大な社会問題となっている「引きこもり」等の問題も、これと繋がっているのではないかと思います。詰る所、日本社会の中ではこれまで、様々な分野の英才教育は行われてきていますが、奈落の底に落ち込むような体験をする時、そこからどのように這い出せば良いのか、その教育が余りなされていないのではないかと思います。

イエス様は、潔白の身でありながら死刑に処せられるという、人類史上、誰も経験したことのない奈落の底の体験をされました。けれども、その後、復活し天に昇られました。

先のイザヤ書の言葉は、イエス様のそのような姿を彷彿させてくれます。

私自身も、スランプに落ち込む時、イエス様の服の裾でも良いので、掴まるようにしています。そうすれば、また直ぐに鷲のように翼を張って上ることができると思うからです。


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