〈あなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる〉ーーー聖書を閉じた神父様は何かを確信するように、私に語りました。「あなたは最初、苦労するかもしれません。しかし、この御言葉から感じるのは〈逆転の時が来る〉というメッセージです」。その言葉に私は〈挑戦してみよう...〉という決意を心の中で呟いて、家路に着いたのでした。
特別養護の重度の障がいをもつ高齢者の介護は想像以上にハードで、2年間悪戦苦闘した末、挫折が待っていました。自分の至らなさから失格の烙印を押され、同僚の誰とも話せない屈辱の日々が続きました。
やがて、上司の厚意により自分の性に合うデイサービスの部署に異動して15年働き、介護職を卒業してからは文筆・司会・イベントの企画等、徐々に階段を上るように自分らしさが花開いていきました。
とはいえ、現在の私がどんなに充実していても、たった1人で外のベンチに腰かけて休憩時間を過ごしたあの頃の自分と、信じ続けたイエスの〈あなたがたのために場所を用意しにいく〉という御言葉を忘れずにいよう、と心に誓っています。
このようなとき私はいつも、絶えまなく祈る友人にだけ話し、試練を過ぎ去らせてくださいと祈りながら待ちます。聖書では、神は嵐のときに身を避ける岩や、ひなを翼に乗せて飛ぶ親鳥のようだとあります。神さまは助けを求める人を守ってくださる方です。
最近では、ある「思い」が頭をぐるぐると回り、抜け出せないことがありました。その思いは朝から晩まで続き、振り払おうとすると疲れ果ててしまいました。小さな試練でしたが力を奪われ、「イエスさま、私は無力です。あなたにお任せします。最善を行ってください」と祈りました。そして、いつも祈る時間より1時間早く起きて、朝の祈りを始めたのです。するとその日から、何ヶ月も執拗に続いた「思い」が霧のようにパッと消えました。あまりの他愛なさに驚きました。私を苦しめていたのは悪霊だったのでしょう。
マルコ福音書には、イエスが悪魔に苦しめられている人に言葉をかけるとすぐに解放された事例がたくさんあります。悪霊はイエスを神であると知っているのでその言葉に従うのです。朝早く起きて祈ることは、神さまに近づき、いっそう神と親しくなることです。
主は私を翼に乗せて飛びたち、敵から解放してくださいました。