わたしの好きなみ言葉

シスター 山本 久美子

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これまでの人生の歩みにおいて、私は、聖書のみ言葉によって導かれ、霊感を受け、背中を押され、心のあり方が変えられてきました。

特に、印象に残っているみ言葉の一つは、ヨハネ福音書の10章14節~15節の「知る」という言葉です。

ある年の黙想会、この聖書の箇所を味わうように導かれ、主イエスと私との目に見えない深い関わり、つながりを心から感じました。何が起こったのかは説明できませんが、突然、この言葉の意味が示されたように感じ、心揺さぶられ、心から感動しました。そして、ここで言う「知る」という言葉が単なる知識としてではなく、お互いを知り尽くして、「ひとつである」という意味合いが含まれているのを実感しました。

ここで、主イエスは、ご自分が「羊飼い」で、私をご自分の「羊」という関係で表現されます。「私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである」と続け、父なる神と「ひとつ」であるイエスは、私との関係においても、何の隔たりもなく、「ひとつ」であると言われるのです。

「ひとつ」ということは、「常に共に在る」ということです。主イエスは、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(11節)とも言われ、その言葉通り、御自分の命を与え尽して、十字架上で死に、復活されました。復活された主は、私たち一人ひとりに新しい命の息を吹きかけ、それぞれの人生の只中に共におられ、絶えず新しい命に生きるよう介入される方なのです。

こうした体験を積み重ねた私は、「聖書のみ言葉は、生きている神のいのちの言葉」だと実感せざるを得ません。

わたしの好きなみ言葉

小川 靖忠 神父

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自分が気に入っている「ことば」は誰にでもあるような気がします。そしてその言葉は、自分の生き方に何がしかの影響があるものではないでしょうか。

わたしが神学生のころ、2人部屋で過ごしていたときがあります。お互いに何かと気を使いながらの日々でした。その中でわたしが、少なくとも自分のために工夫してみたことがあります。

毎日の聖書朗読を通して気に入っていた「みことば」を、何枚かの用紙に書き込んでみました。1つだけではなく、いくつかです。それは、毎日、意識しなくても行っている動作の中に、何気なく取り込んでいこうとするためでした。つまり、机の引き出しに入れておくためだったのです。引き出しを引いて開けるたびに、紙に書いたみことばが目に飛び込んでくるように、引き出しの1番上にその紙を置いたのです。

それは「あなた方は、人からしてほしいことを、人にもしなさい。」というみことばでした。(ルカ6・31)引き出しを開けるたびに目に入ります。実践に移しやすくなるのです。少なくとも、意識して行動しようと心がけることができます。

自分はこんなことはしてほしくないので、多分相手も同じかなと配慮するゆとりが生まれます。それだけでも、自分の行動に変化が出ます。こうした状況が続きますと、意識しなくとも配慮することができるようになっていったのです。いろいろな面でいい結果が自然に出るようになりました。

自分の好きなみ言葉が、単に飾りとしてではなく、また、標語として終わることもなく、自分の身近なところに、共にあることが充実感を感じさせました。年齢を重ねた今、あの原点に戻って、新たな歩みを刻んでいければいいなと、さらなる前を目指します。


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