この短い言葉で物事を言い表す手法は、アフォリズムと言って、ギリシア時代から人々に受け入れられたものですが、日本の俳句や短歌などの文化にとても合っているのではないかと思われ、私もそのリズム感に打たれたわけです。
そして、何事もあるものは無かったものに等しくなるといった、諸行無常的なこの言葉を、なぜ私は好きなのだろうかと考えたそのとき、小さい頃によく見た夢の体験が思い出されました。
その夢とは、私が布団の中で寝ていると、私を見る目が私から離れ、天井から私を見、次に屋根の上から私を見、町の頭上から私を見ている、とだんだんその目が上の方に移動し、日本の上から、地球の上から、そして太陽系の上からと、どんどんと見る位置が遠のいていくのです。
最後には、私がごま粒以上に小さくなるのですが、私を見ようとする心は変わらないといった感覚を伴う、不思議な体験でした。
それは、価値が無い私でも、確かに見つめられ守られているといった体験で、すべてのものが取るに足りないのに、そこに心を込める神の存在があるからこそ、そのものの存在価値があるといった喜びへ通じる体験だったのです。