その人は「早く悟る事は3文の徳」だというのである。
「悟る」を「目覚める」といいかえてもいい、損得の「得」をあえて人徳の「徳」に置き換えた方が良いともいうのである。
なるほどと私は膝を打ちたいほど共感した。
それまで、物質的、あるいは金銭的な得を思っていたが、実は精神的な徳も、その諺の意味として含まれていたのである。
そして、私は幼い頃の五島での「けいこ部屋」を思い出した。
「けいこ部屋」では主に「公共要理」を習ったが、その一番目が、「人がこの世にいるのは何のためでありますか」、「人がこの世にいるのは、天主を認め、愛し、これに仕え、ついに天国の幸福を得るためであります。」であった。
私たちは詳しく深い意味はわからなかったけれど、おぼろげながら、人が生きる目的は天国へ行くためであると幼いながらも悟っていたのである。
けいこ部屋で、私たちは早く目覚めていたのである。
3文の得などというこの世での評価ではなく、早く目覚め、神さまを信じることで、永遠の幸福が待つ天国へ行けると習ったのである。
カトリック式でいうなら、「早い目覚めは永遠の徳」なのである。