それでも、まだまだ瑞々しいまでに気力を感じるのは、オーケストラや合唱を指揮している時で、この輝かしいまでに目覚めている時間を私は愛しているのです。
昨日はベートーヴェンの交響曲第9を、一昨日はラフマニノフの交響曲第2番を、それぞれ指揮しました。まさに大変ではありますが、血が体中を駆け巡るのを感じるのです。
ところで聖書にも、目覚めに言及している所があります。
例えば、主イエスが祭司長たちに捕縛される前、悲しみに満ちて血の汗を流すほど苦しんで祈っておられた時、弟子たちは近くにいながら、共に目覚めているどころか、眠りこけていました。
また別の時にイエスが語られた10人の乙女の例えでは、5人は賢く、花婿の到着が遅れるかも知れないと、ランプに予備の油まで用意したのに対し、あとの5人はそういう細やかさ無しに、出迎えました。果たして、花婿の到着は遅れて夜中になり、ランプをつけて出迎えた賢い5人の乙女は花婿と共に宴席に入り、油切れでランプに灯をともせなくなっていた残る5人の乙女らの前で扉は閉じられてしまったという事です。(参:マタイ25・1~13)
この例え話は、「神の国はいつ来るか分からないので、私たちはいつも目覚めてそれに備えているように」との主の教えなのです。
確かに私は目覚めていません。今日の夕食は鶏なのですが、ワインを用意するのを忘れていました。