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目覚める

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

私は毎週、ミサの他に「祈りの会」に参加している。この会は、世界のあちこちにあるカトリック信者の集いだ。たくさんの教会から集まり、主を賛美することを目的としている。神父さまも信徒も一緒に輪になって祈る。

特徴としては、願いごとよりも、神さまが私たちのためにしてくださった素晴らしい出来事を思い起こし、ほめたたえるところにある。たくさんの感動的で美しい歌を歌う。自由な言葉で祈りを捧げる。喜びがあふれて踊る人もいる。日々の心配事をいったん脇において、皆が心を一つにして神さまが私たちにしてくださったことを思えば、感謝しかないと気付いていく。言葉を重ねて感謝を表していくうちに、これほどの愛を注いでくださる神さまには「賛美することこそふさわしい」という気持ちになる。

この祈りの集いに毎週通っていると、だんだんと心の目が開いてくる。自分だけの狭い世界に閉じこもっている時には見えなかったことが徐々に見え出すのが嬉しい。

例えば、他の人の苦しみに心が向かい、祈りたくなる。神さまを求めている人の心を感じられるようになる。外国であれ、国内であれ、困窮している人のことが自分の仲間の出来事だと感じられるようになる。

これは、聖霊、つまり神の霊が私たちの小さい心に翼を与え、広い世界に行けるように働きかけてくださっているのだろう。

しかし「目覚める」とは、同時に、自分が変わりやすく頼りない者、無力な存在だとわかることでもある。錯覚からも目を覚まされるわけだ。無力さを感じれば感じるほど祈りたくなるのでこの気づきもまた素晴らしい。

祈りを忘れると私たちはすぐに自分という檻の中に入ってしまうからだ。