この祈りの集いに毎週通っていると、だんだんと心の目が開いてくる。自分だけの狭い世界に閉じこもっている時には見えなかったことが徐々に見え出すのが嬉しい。
例えば、他の人の苦しみに心が向かい、祈りたくなる。神さまを求めている人の心を感じられるようになる。外国であれ、国内であれ、困窮している人のことが自分の仲間の出来事だと感じられるようになる。
これは、聖霊、つまり神の霊が私たちの小さい心に翼を与え、広い世界に行けるように働きかけてくださっているのだろう。
しかし「目覚める」とは、同時に、自分が変わりやすく頼りない者、無力な存在だとわかることでもある。錯覚からも目を覚まされるわけだ。無力さを感じれば感じるほど祈りたくなるのでこの気づきもまた素晴らしい。
祈りを忘れると私たちはすぐに自分という檻の中に入ってしまうからだ。