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目覚める

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

目覚めについて、印象に残っている2人の司祭の言葉があります。

1人は私達の修道会の兄弟の言葉です。彼は、アメリカで管区長に選ばれ、就任式が行われた翌日のミサの時、次のような挨拶をしました。

「私は昨晩、嬰児のように眠りました。何故なら、目覚めた時、泣き始めたのです。自分が置かれている現実を知って」。

もう1人は、神学部で教鞭を執っていらした神父様の言葉です。この方は復活の日の目覚めについて、「それは、手術後の目覚めに似ているのかもしれません」と仰いました。全身麻酔の手術を、未だ受けたことのない私にとって、この目覚めは未だ想像の域を出ません。

聖書には、復活の時の状態が次のように書かれています。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとく拭い取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」。(黙示録21・3~4)

また、復活の姿をイエス様が前もって示された変容の場面では、そこに居合わせたペトロが、「先生、私達がここにいるのは、素晴らしいことです。仮小屋を3つ建てましょう」と言っています。(マルコ9・5)ペトロは、その光景の余りの素晴らしさに、そこに暫く留まりたかったのでしょう。

イエス様は、最後の晩餐の席で仰いました。

「永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」。(ヨハネ17・3)ここでの「知る」は、体験するという意味です。

復活の日の目覚めを体験させて頂き、その素晴らしさを周囲の人々に伝えていくことができたらと思います。