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目覚める

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

一生懸命生きているのに、思わぬ災害や突然の事故、人間関係での破綻から人の心が荒れ果てることがあります。絶望感と孤独感に苦しんでいる時、愛する人が一言、自分の名前だけを静かに語り掛けてくれた時、荒れ果てた自分の心が突然、温かい愛に目覚めることがあります。

ヨハネによる福音書20章11節に、復活したイエズスがマグダラのマリアに現れる場面があります。マグダラのマリアはイエズスのお墓に行ったものの、そこにご遺体はなく、絶望感と孤独感に泣いていたとき、園丁だ、と思っていた男が、いきなり「マリア」と一言言います。マグダラのマリアは、すぐさま「ラボニ」、先生、と答えます。この短い名前で呼び合う場面は、実に奥深い愛情のやり取りの場面で美しい風景です。無駄な虚しい言葉はなく、愛を込めた名前の呼び合いは、神秘的で充実しています。

 

厳しい人生を生き抜いていくには、友情や愛情が必要ですが、その奥深い人間の愛情に目覚めるには、案外、平素の修行が必要なようです。折角、素敵な男女が出会っているのに、愛についての思索が不足していたり、過去の自分の人生での心の傷を、勉強不足からいつまでも引きずって、解決しないまま生きているのです。素直に人の友情や愛情を受け入れない、頑固な人間として生きているのです。

人生で一番重要な課題は3つあります。悔いのない人生とは何、自分の生き甲斐とは、天が与えて下さった心と身体を大事にしているか、この3つの永遠の課題に目覚めて、自分なりの答えを探しだすのが一番重要な生き甲斐のようです。

復活したイエズス様が最初に出現したマグダラのマリア、そのマグダラのマリアの生涯を思索すると、次から次へと色々の知恵に目覚めてくるのが不思議です。