この花の存在を知った時、私にとって今までの人生は、何1つ無駄なことはなかったと思えた。これからが目覚める時だと信じた。
私は女子大を卒業後、何をしてきたのだろう。
小学校の教師、デザイナーの秘書、群衆を多く使う演出家のスタジオに入所し、群衆のひとりとして舞台に出演。その後、体を壊し、実家に戻り、子どものための劇団主宰。再び上京し、カトリックの出版社の編集者、母の病気により、出版社を辞め、長年、母の介護も経験した。その間、神学部へ入学、卒業し、庭掃除や皿洗いのアルバイトもした。
今はカトリックの月刊誌の連載、ラジオ原稿と絵本の執筆を続けるとともに、頚椎損傷で頭以外は動かすことのできない方の介助をしている。今、私は主に執筆と、介助の仕事で生活費を稼いでいる。
私自身、年を重ね、若さにあふれ、何をしても生きていける時期は過ぎ去った。そんな時、このセンチュリープラントに出会った。
センチュリープラントのように 100年間も風雪に耐え、花が咲いた瞬間に根元から腐り、花に養分を流す。
この花の存在を知った時、遅すぎる出発だけれど、私が今まで蓄積してきた養分のすべてをこの命にこめ、言葉の花に向かって注いでいこうと思った。
そこに、わずかでもいいから、イエスが死に向かう時の混じりっけのない愛があればと祈る。