アメリカの文化人類学者であり、「菊と刀」の著者でもあるルース・ベネディクト氏が、その著書の中で規定しています。つまり、欧米は内面の良心を重視するのに対し、日本は世間体や外聞といった他人の視線を気にするというのです。さらに、他人に笑われたくない、恥をかきたくない、正しいかどうかで行動を決めるのではなく、世間がそれをどう思うかで、日本人は自分の行動を決める、と彼女は分析しています。
こう考えますと、「悔い改める」という業も、人の目を気にしての行動になるのでしょうか。自分の行動が悪かったことに気づき、それを直すわけですから、その判断基準は「人の目」なんでしょうか。それではあまりにも刹那的な感じがします。
同じような表現に「回心する」という言葉があります。これは、今までの歩みを肯定し、「方向転換をする」という意味合いがあるのではないでしょうか。「悔い改め」は、過去を否定するわけではないにしても、今までの自分に「ダメ」の判断を下してしまいます。
人は皆、紆余曲折をたどりつつ、よりよい生き方を求め続けています。それを本人が意識していてもいなくても・・。
悔い改め、回心の日々です。