その時決意したことは、毎日、英語だけは復習と予習をすることであった。幸か不幸か、英語の授業は、毎時間小テストがあり、自分のその時の英語力の状態を確認することができたのである。
その時の英語教師から言われたことを覚えている。「小川君、日本語の短編小説をたくさん読むように」と。それからというもの、短編小説をたくさん読み込んだ。そして、読んだ後の読書感想を英語で書き、教師に添削してもらったのである。最初は、赤字の添削箇所で真っ赤になっていたが、白い部分が増えるにつれ、嬉しくなり、英語力に自信がついていった。また、大きくなってからの海外生活でも、役に立ってくれたのである。
後になって思ったことであるが、英語力を身につけるためには、まず母国語をしっかりとやれ、ということだったのだ、と。
日常やるべきことをしっかりとやっていくことが、すべての「先取り」になっていくということであろう。日本人が、日本で生きていくのに、日常、英語は使わない。外来語を使ったとしても、基本は日本語である。母国語の習得にもっと傾注すべきではないかと思うのはわたしだけだろうか。数年後に始まる、小学校での英語教育が、本来の「先取り」になることを祈りたいものである。
神の救いの業は、先取りそのものである。日常の積み重ねの奥にイエスが見えるといい。6月は聖心の月である。