2018年05月28日の心の糧


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村田 佳代子

今日の心の糧イメージ 「天のお父さま、今日はこんなことがありました。いつも私を見守っていてくださって、有難うございます。」物心ついた、ほんの幼児の昔から現在に至るまで、私の就寝前の祈りは、「天のお父さま」で始まります。

実の父は戦争中、陸軍の参謀であったため、戦後その責任を問われ、やがて私達の家庭にもどることなく亡くなりました。そのため、子供の頃は、天のお父さまは、文字通り唯一人のお父さまであり、何でも報告をし相談し甘えていたのだと思います。聖書が読めるようになり、教会の日曜学校で神様として教えられるようになっても、実の父は天国に居るはずで、神様と一緒に聞いてもらえているとして、お祈りは変わることがありませんでした。

中学生の頃、無神論者の教師や学友がいて、人間として弱い者が神に頼ると云われ、人間はもともと小さな弱い存在で、神様から生命を頂いて活かされていると反論し孤立無援になりそうでした。その時、「君は正しい、よくぞ云ってくれた。」という人があり、後日「僕の教会を案内しよう。」と誘われ、伺った先が四谷のイグナチオ教会でした。文化祭で女性史の発表をする用意をしていた私は、細川ガラシャに興味を持っていたので、ホイヴェルス神父様を、紹介して頂き、度々お話をうかがったり、資料を拝借しにお訪ねしました。

神父様は、天のお父さまがそのまま地上でローマンカラーをつけて、立っていらっしゃるとさえ思えるような方で、威厳の中にやさしさがあふれた暖かい方でした。紆余曲折の後、キリシタン歴史画の作者として画業についた私を、20年余り支えて下さったチースリク神父様も天のお父さまのような方でした。