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愛でる

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

神さまの愛はそのまなざしに表れています。人を見つめる目が温かいのです。

聖書は、イエスが人の苦しみに敏感で、愛情深く人間をみつめていることがわかる話に満ちています。

例えば、ザアカイという男は、有名なイエスを見たくてたまらなかったのですが、背が低かったので先回りして、いちじく桑の木に登って待っていました。ローマ帝国に収める税金を徴収していた彼は、ユダヤ人仲間からは嫌われていました。お金持ちでしたが、孤独でした。イエスは木の下を通りかかる時、上を見上げて「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊りたい」と友人のように声をかけました。(ルカ 19・5)ザアカイは喜んでイエスを迎え入れます。そして生き方を変えるのです。

また、イエスがファリサイ派の人の家に招かれた時に、評判の悪い女性が入ってきたことがありました。(参:ルカ 7・36~50)彼女は罪を後悔し、泣きながらイエスの足元に近寄ると、涙でイエスの足を濡らし、自分の髪の毛でぬぐい、香油を塗りました。その家の人は「この人は預言者ではない。もしそうなら、自分に触れている女が誰だかわかるはずだから」と冷たい目でイエスを見ています。

この地域は砂ぼこりがひどいので、家に入る前に足を洗う水を出すのが習慣ですが、彼はイエスにそうしませんでした。イエスは、「あなたは私に足を洗う水を出してくれなかったが、この人は涙で私の足を濡らし、髪の毛で拭ってくれた」と言いました。どんなに豊かな学識があっても人を見下している間はまだ神さまの愛を実感していない寂しい状態です。

イエスはこの人にも生き方を変えるチャンスを与えています。

イエスは人を「愛でる」方です。そのまなざしは私たちに命を送り、新たな生き方へと促します。