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愛でる

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

春霞が切れて、5月の空は高く澄み渡るせいか夜空が明るく美しく、つい立ち止まって仰ぎ見てしまいます。昔から日本人は「月を愛でる」と言い、その感動から歴史上名作と言われる詩歌など文学作品や名画が数多く誕生しています。

「愛でる」という言葉は、普通は美しい事を褒める、又は好ましく思う、物を大切にするというような、自然環境や価値の高い物に対して評価する時に使われることが多いのだと思います。

ではどうして「愛でる」を漢字で表記するときに「愛」という字が使われるのでしょうか。

ある時、こんな事件がありました。私が住む鎌倉には古いお寺が沢山あります。その中の1つのお寺に小さいながら気品漂う1体の仏像がありました。よそのお寺の1人のお坊さんがたまたま立ち寄ってその仏像と初対面でその姿かたちを好きだと感じて帰りました。ところが、なんとなく忘れがたく、度々その仏像に会いたくて、用を作っては足繁くお寺に通うようになったのです。仏像を深く愛してしまったのです。愛は単に好きだという思いを超えて片時も離れず慈しみ愛しく思うことです。そしてお坊さんはその仏像を欲しくてたまらず、遂に盗んでしまったのです。勿論事件として1度は新聞にも報道されました。ところが仏像を持っていたお寺の寛大なる計らいで、仏像は一時貸し出されていたとの証言になり、泥棒のお坊さんは汚名返上となりました。以来2つのお寺は以前より関係が深まったように私は感じています。

「名月を 取ってくれろと 泣く子かな」という俳句のように、「愛でる」は、好ましい気持ちが膨らんで遂には自分のものにしたい、欲しい、という思いになることを表す言葉なのでしょう。

私たちの主に対する祈りにも似て。